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 以下に掲載する文章は、ある大学院生(仮にI子さんとします)の書いた修士論文の一部です。2002年夏、彼女にお会いして、インタビューの被験者という形で手伝わせて頂きました。
 2,3時間くらい僕がただつらつらと喋ったことを客観的にまとめて下さいました。
 第3者的な立場でのまとめなので、僕自身が書くよりも、僕のことがよく分かるのでは?と思い、upしました。

 Zさん=金矢
 α=エホバの証人、ものみの塔
と解釈してお読み下さい。


 なお、著作権はI子さんにあり、僕は引用許可を頂いて掲載しております。


* Zさんの語りの要旨

Z−1:信じきれないまま、生まれつきの2世信者として育つ
 自分が生まれた時に、既に母がαの洗礼を受けており、α2世として育てられる。小さい頃集会でむずかると、トイレに連れて行かれて皮ベルトやスリッパで泣き止むまで叩かれた。奉仕で歩かされるのも嫌で、なぜ自分だけこんな目に遭うんだろうと思った。小さい時はそのように無理矢理連れて行かれたが、小学校高学年から中学の時は、自発的に行っていた部分もあったと思う。
 小学生から高校生の時、学校ではα信者であることをひた隠しにしていた。“証言”(注:自分の信仰と、そのために行事等に参加できないことを表明すること)もせず、柔道、クリスマス会には参加した。校歌は歌っているふりをした。一度だけ、校歌斉唱の指揮者をやらされそうになり、証言をして断ったことがある。学校とαの集会とで切り替えをして、二重の自分を作っていた。
 中学1,2年の時、柔道の授業に参加していたが、3年になって同じ会衆の男子が転校してきてしまった。柔道をやれば会衆に知れ、やらなければ“前はやっていたのに”と言われると考えて大変悩んだ。結局先生の怪我で柔道の授業が中止となり、ホッとした。
 「この宗教は正しいものだって思ってたんだけども、どっかでまだ信じきれていない部分がっていうのがあったし」、霊的レベルは最下級の方だった。伝道やバプテスマ(洗礼)を受けることにも抵抗があった。

Z−2:高校から大学1年までは熱心に活動する
 高校受験の時、公立校に落ちたので仕方なく私立校に進んだ。“公立に落ちたのは、きっとα神のご意志だったのよ、多分あの公立校は柔道が厳しいんだわ”とかいう声が会衆から出た。α信者は「悪いことは全部サタン,いいことは全部α神の人たちだから」。とても熱心な学生信者の中には、奉仕の時間を優先するために単位制高校に行く人たちもいた。
 高校生になってからは、遅咲きながら神権宣教学校に入学し、抵抗感を吹っ切って伝道をしていた。会衆内の音響部門に入り、そこの仲間とバーベキューやバスケットをして遊ぶのも楽しかった。
 高校の3年間と大学1年の時は、神権宣教学校の割り当て(5分間の講話)の用意を熱心にやった。会衆たちの評判も良かった。一番熱心に研究したのは大学1年の時だと思う。大学に入り、B市に引っ越して、そこの長老が自分の研究司会者についてくれたので。

Z−3:αの間違いに気づく
 αでは以前、“高等教育は必要ない”と教えられていたので、大学進学は無理かと思っていたが、組織の方針転換で進学が可能になった。5歳違いの姉は方針転換の前に、高卒で就職していた。
 大学2年になり、ゼミと集会の日が重なるようになったので、集会を休み始めた。大学のゼミは、客観的な視点を養う場になっていたと思う。3年生の時、恋人(現在の妻)と交際を始めた。α信者以外の異性との交際は許されないことなので、組織に知られぬようにビクビクしながらつき合っていた。α信者として進み恋人と別れるか、それともαを辞めるか、とても悩むようになった。ちょうど同じ頃、国旗国家法案が可決された。“国旗国家を指導しないと教師になれない”という意見もあり、そうなるとα信者は教師になれないのかと思い、そこでも気持ちが揺れた。
 4年生の春、恋人の勧めでα2世向けのホームページ(以下HPとする)を見てショックを受けた。自分と同じ状況の人がたくさんいることを知った。排斥された人たちの生の声もはじめて知り、αで言われている“サタンにたぶらかされた者”とばかりは言えないと思った。“ここでαの問題に向き合わなくてはいけない”という気持ちになり、1ヶ月位、関連の本やHPをたくさん読んでみた。
 最初、本よりはHPの方が見やすかった。また、同じくαを批判的に書いた本の中でも、元2世の本は読みやすく、それ以外の人が書いたαを痛烈に批判した本は読めなかった。調べ始めてから“αが正しい宗教ではない”とはっきり分かるまでには、結構時間がかかった。その間、気持ちが揺らいだ。
調べてみると、αの嘘八百がボロボロ出てきて、組織の詭弁をそれまで納得していた自分にも気づいた。1ヶ月位いろいろと調べたあと“αもたくさんある新興宗教のひとつなんだなあ”と考えている自分がいた。その時は自分ひとりにハルマゲドンが来たような感覚を味わっていた。「ちっちゃい頃ずっと考えてたんですよ。(中略)集会で『今日は特別のお知らせがあります』とかなんか、兄弟がすごい緊張した面持ちで演台に立って、『今までαがやってきたことは全部嘘です、間違いでした、解散!』とかいう日が来るんじゃないかなとか、(中略)それが自分ひとりにやってきた感じがして、いやほんとに」。

Z−4:卒論でαの問題を取り上げ、ケリをつける
 αのことは、まとまった文章にしてケリをつけておかないと、一生ついて回ると思った。それならば卒論とそれを一緒にしようと思った。自分が入っていた専攻の学生は、自分の興味のあることや(発達)課題に関係したことじゃないと書かしてもらえない、ということもあったので。教官からは“少し枠を広げて、若者の価値体系みたいなところでアンケートでも取って書いてみないか”と提案された。しかし自分はαで書くことを選んだ。「ケリつけなきゃどうしようもないから、対象広げて価値観だなんだのって言う前に、自分がαと訣別するための文章を書かなけりゃっていう、何かあったんですよね」。
 家族に対しては、大学4年生の9月に未信者の父にまず脱会を報告した。11月には信者である母と姉に報告し、その時のやりとりで心がズタズタボロボロになった。
 会衆には、就職が決まってB市を離れる時に、責任者宛てに脱会届のようなものを送った。それで形の上でもケリをつけた。

Z−5:この数年、大きな変化の中で立ち止まることは出来なかった
 この2〜3年の間に、HPを見て,卒論,就職,結婚と、生活が大きく変わった。どれを取っても転機だった気がする。
 家の事情と就職の内定が出ていたことから、是が非でも卒論を書かなくてはいけなかった。「俺が食い扶持稼がないと一家路頭に迷うなっていうのがあったんで」。4年生の12月にズタズタボロボロの状態で精神科を受診し、ドクターストップを言い渡されたが、休むことなく卒論を1月に書き上げて、春には就職をした。

Z−6:脱会によりアイデンティティを失い、自信をもてない
 普通は、疑問や葛藤を持ちつつ自我同一性を獲得するものだが、αの中では疑問を抹殺されるので、薄っぺらな同一性を早期に獲得してしまうと思う。ただでさえ薄っぺらな同一性なのに、αを脱会するとそれさえも全て失う感じで、それが元2世の辛いところだと思う。
 自分のアイデンティティの土台はαの教えであり、α信者という同一性をいったん獲得していたが、α以外の世界を知ってそれが拡散してしまった。信じていたものが全部崩れ去り、人格的に空洞になった感じがして、自信を持って行動することができなくなった。「(仕事中に)何か喋ってても、それが確固たる自信を持って裏付けされたものじゃないし、まあしこりとは違うのかも知れないけど。アイデンティティイコール自信みたいなところってあるじゃないですか。なんかそのアイデンティティごと全部持って行かれたもんだから、新しいアイデンティティがない状態で、ぽっかり空洞があいてる状態でなんかしなきゃいけないっていう、そういう辛さはあるんですよね」。今、アイデンティティを作り直している段階だと思う。
 脱会後、大きく変わったと思うのは、確固たるものがなくなり、地に足がつかぬ感覚になったこと。仕事も今よりも学生時代の実習の方が、自信を持ってやっていたように思う。
 通院しているのも、仕事で頑張れないのが主な理由。一回ひどく壊されているから、抑うつになりやすいのかなと思う。

Z−7:周囲の人たちや元2世の仲間、そして情報に支えられる
 脱会後、ズタズタボロボロの状態の自分にとって、恋人(現在の妻)と、温かく見守ってくれた指導教官の存在が大きかった。情報と元2世の仲間も支えになった。
 α2世向けのHPをじっくり読んで、たくさん書き込みもした。このHPの向こうには、分かってくれる人がたくさんいるだろうという安心感があった。医者やカウンセラーは、αのことをよく分からないので話しにくいが、HP上ではわかってもらえる安心感があった。そこで安心して話せたことがカタルシスとなって、その後の行動に移って行けた。
 大学4年生の夏頃に自分が立ち上げた元2世用のHPに、最初に書き込みをしてくれた人と会って話した。「それがその元α信者っていう人と初めて会った経験だったんですよ。いろいろ話しているうちに、ああそうそうそう、そうなんですよねとかいう話が出来るっていうのが、すごぉく快だったんですよね。いちいち説明もいらないし、なんかほんとね」。
 HPで知り合った元2世メンバー同士で、αでは食べることを禁じられていた鯨肉を食べるオフ会をしたこともあった。「積年の恨みで食べられなかった人、集まれ」と呼びかけて、集まった人たちで鯨肉の様々な料理を堪能した。
 
Z−8:αの中で育ったことで良かったこと,良くなかったこと
 αに入っていたことで、道徳心や身だしなみが身についた。読み書きも、とても早く覚えた。また、知らない土地に行っても、そこの会衆の人たちが親切にしてくれた。大学入学のため、引越しをして一人暮らしを始めた時も、そこの町の会衆が住居探しや引越しの手伝いまでしてくれて、居心地のよさや安心感を持つことができた。
 一方、マイナス面としては、まず物事を深く考えられないことがある。「これはこうこうで、こういう理由でこうなってるんだなっていう論理的思考があんまり出来ない」。これは、長いあいだ「α神がそう決めたんだから」ということで、物事を深く考えずに納得してきたことの影響かと思う。
神社や葬式に行くのが苦手なので、最近はわざとそういう所へ行くようにしている。クリスマスはどうやって祝ってよいか、今でもよく分かっていない。
脱会を決めてからも、αで食べることを禁じられていた鯨肉について「俺、鯨肉食えないんだ」と、思わず言おうとしたことがあった。辞めてからもなお、αの戒律を守ろうとしている自分に気づいて、へこんでしまった。

Z−9:元2世問題には、“親の価値観の強要”という視点が有効ではないか
 元2世にとって、ハルマゲドンの教えは印象に残りやすいのか、夢に見る人が多い。ハルマゲドンを生き延びて“永遠に生きる”というのは、冷静に考えるとすごいことを信じていたものだと思うが、組織にいるときには自分はそれを信じていた。現役の2世から“親にαを辞めさせてもらえない”という相談を受けた時は、「ハルマゲドンで滅びてもかまわないって言ったら,だいたいの親は引き下がるよ」と言っている。
 αにいたときは、勉強とαの活動の両立が苦しかったことがあったし、皆が普通にやっていることを禁止されていたのも苦しかった。さまざまな禁止を積み重ねることで、“理想的なα信者になる”という、ひとつの価値観を強要されたことが、被った一番の不利益であると思う。
 自分にとって、α体験は根本とか、土台とか、前提。それなくして自分の人生は語れない。しかしαから得たものは、ほとんどが反面教師的なものばかり。今は、αから這い出てきた自分の体験から、“子どもたちに価値観を強要してはいけない”と強く思っている。
 元2世には、元1世とは違う所がある。αに入る前の自分がないので、脱会後、戻る先がない。また、真理を求めているわけでもない。元2世にとっては、αという棘は根深いので、棘を抜いたら自分自身も抜けてきたり、しこりが残ったりする。少しずつ非常に慎重に取らなくてはいけない。そのような元2世の状況が、現段階ではまだあまり考慮されていないと思う。
 自分にとって一番辛いのは、依然α信者のままである母が、分かってくれないこと。自分の考えを母に伝えようとするが伝わらず、母は組織の考えに囚われている。一旦は“母にはもう宗教的なアプローチはしない”と思いもしたが、やはり諦めきれていないと思う。このことを医者に相談しても、“なるようにしかならない”みたいに言われて、薬が出されるだけだった。
 αはとても偏った世界だけど、ある種の親の価値観だと思う。カウンセラーがα2世問題を抱えたクライアントに会う時、宗教というより親の養育観の問題として一般化してとらえないと難しいのではないかと思う。

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